先日、気仙沼に災害復興ボランティアをしに行ってきました。
5/3、4、5の3日間活動をしてきました。
もともとゴールデンウィーク中に震災ボランティアをしたいと思っていたのですが、
一人で行くのは逆に迷惑だと思った為、NPOか何かの活動に参加したいと思い、インターネットで「気仙沼 ボランティア」というキーワードで、検索したところ「CARE-WAVE」というNPOが人員を募集していたので参加してみました。
「CARE-WAVE」のリンクはこちら。
http://www.geocities.jp/carewavejapan/index2.html
「CARE-WAVE」はミュージカルなどを行う劇団であり、災害復旧の専門家団体というわけではなかったのですが、
私はCARE-WAVEのブログを読んで非常に共感できる部分があって、また普段接する事がないような人たちにも会う事が出来ました。
彼らは本当に素直な人たちで、自分には無い「人間らしさ」を持っていました。
このボランティアを通じて「人間力」というか「思いやり」というか、
物質的な豊かさや、仕事に役立つ知識とかだけじゃなくて、本来人間に備わっているはずの力にもっとフォーカスしないといけないと痛烈に感じました。
さて、実際のボランティアは何をしたかといいますと、
まずCARE-WAVEは気仙沼の災害ボランティアセンターに登録したわけではなく、
CARE-WAVEと馴染みのある「うを座」という劇団のサポートをしに来ました。
「うを座」は気仙沼では有名な子ども達による劇団だそうで、彼らの家族もまた被災しており、
そんな彼らのサポートをする為に気仙沼に集まったわけです。
総勢26名が集まり、いくつかのグループに分かれてボランティアを行いました。
私はもちろん「うを座」の事は何も知りませんでしたが、対象は誰でも良くて、とにかく今回の震災のボランティアがしたくて参加しました。
From 気仙沼市街の様子 巨大な船が陸にあがった状態のままになっています |
動画は以下リンクより。
http://youtu.be/MqParI4jqJw
初日は引っ越しのお手伝いでした。
津波で住めなくなった家から荷物を取りだし、別の家に運び入れるというものでした。
普段あまり体を鍛えていないので、けっこうキツかったです。
おまけにヘルニア持ち。そんな体で何が出来るんだって感じでしたが、なんとか出来る限りの事はやりました。
引っ越しボランティアは私たちだけでなく、その家の方の同級生の方も参加してもらい、
みんなで協力してやりとげました。
すべての荷物を運び終えて、最後は記念撮影。
奥様は感極まって泣いてらっしゃいました。
私は何も言葉をかけてあげられませんでした。
From 自宅近くの様子 |
動画リンク
http://youtu.be/kc25WlkxtAs
2日目は大島という島へフェリーに乗ってガレキの撤去作業。
気仙沼、大島の間をつなぐフェリーは陸に流されてしまい、現在は広島からフェリーを借りているそうです。
大島に着くとまず目の前に見えるのは陸に流されたフェリー。
大きな船2隻が陸にあげられてしまっています。
周りの家やお店もボロボロで、今にも崩れそうな状態。
私たちは大島港近くのお店の掃除を任されました。
夫婦と子供一人の家族でした。
まず調理器具を家の外に運び出す作業を行いました。
これまた重いものばかり。
そのあとは棚に入っているお皿を取り出す作業。
棚にはお皿が大量に入っており、すべて泥をかぶっている状態でした。
ある程度泥などを捨ててから、小分けにして箱に入れるという作業。
あとは掃除。
一番印象に残ったのは、こちらの夫妻がとても楽しそうに私たちと話をしてくれた事でした。
いつも夫婦や知っている人との話しだけだったようで、気が滅入る事もあったようです。
最後に私達と色々な話が出来てとても楽しかったとおっしゃってくれました。
私は気仙沼に行く前は自分に何が出来るのだろうかと思ったり、当日になって何でわざわざ危険な事をしにいかないといけないんだろう、
なんて思ったりしていたのですが、
こういった一言で本当にやって良かったと感じる事が出来ました。
ただ話し相手をするだけでも彼らの心のケアにもなるし、誰でも何か出来るんだって事が分りました。
From 大島の港の様子。フェリーが陸に流されています。 |
From 大島の港に乗り上げたフェリーの周辺 |
3日目。
3日目は「思い出探し」と題して、津波によって崩壊した家の周りから思い出の品を探すというボランティアでした。
津波はすべてをなぎ倒し、家は跡形もなくなっていました。
あるのは家の土台の部分だけ。
その周りの泥の中からお皿や写真、服、思い出の品を探すという作業。
これもまた地道な作業でした。
ですが、家の方にはとても喜んで頂きました。
このあたりは震災から2か月たった今でも危険な区域になっていて、車は途中までしか入り込めませんでした。
また、自衛隊がまだ作業をしている区域でもありました。
現場に向かう途中、あまりに道が整っていないところを走り続けたせいか、車のタイヤがパンクしたり、
参加者の一人は作業中にクギが足に刺さったり、色々なトラブルが起きました。
しかしそれでもみんなの心はとにかく助けようという一心。
私はこんなにチームワークが良い状態って今まで見たこと無かったです。
自分を含めみんなが「なんとかしたい」という気持ちが表れていました。
From 家の周辺。家の面影はどこにもありません |
From 思い出の品として、食器がいくつか集められています |
3日目の夜でボランティア活動はいったん終了し、一部の人は残りましたが大半は帰宅となりました。
帰宅途中、「桃の湯」という温泉に入り疲れをとる事ができました。
途中のSAで車中泊を3時間ほどして、都内に着いたのは朝7時前でした。
家に帰ったら急に眠くなって、お昼から次の日の朝まで寝てしまいました。
どうやら体はかなり疲れていたようでした。
それにしても本当に今回の活動は色々と考えさせられました。
自分の未熟さを痛感しましたし、世間の間違った価値観に振り回されることなく、
本当に大切な事を学ぶ必要性がある事を改めて悟った気がします。
今後もこのような人の為になる活動を続けていきたいと思います。